大判例

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東京高等裁判所 昭和51年(ネ)3000号 判決

控訴人(第一審原告)

小島正一

外一名

右両名訴訟代理人

荒木和男

外六九名

被控訴人(第一審被告)

越谷市

右代表者市長

黒田重晴

右訴訟代理人

早瀬川武

外二名

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実《省略》

理由

一控訴人ら夫婦の長男小島勝一(昭和四三年七月六日生、当時二歳一一か月)が、昭和四六年六月三〇日午後四時頃埼玉県越谷市恩間新田四六九番地一所在の本件防火水槽に転落して死亡したことは、当事者に争いがない。

しかして、右事故発生の経緯及び事故の原因について検討すると、〈証拠〉によれば、次の事実が認められる。

1  本件防火水槽は、控訴人方居宅の前約二一メートルのところにある幅約2.50メートルの道路に面した土地上にあつて、右道路から約三メートル奥まつた位置にあり、控訴人方鶏舎に隣接していた。

2  勝一の母の控訴人政子は、事故当日の午後四時頃勝一を伴つて右鶏舎に行き、鶏の世話などをしている途中、勝一は、近所の子供と遊ぶと言いのこして鶏舎の外に出、本件防火水槽附近で遊ぶうちに、これに転落し死亡した。

3  本件防火水槽は、南北五メートル七八センチ、東西三メートル九八センチ、深さ一メートル二二センチ、底面が水平、壁面が垂直のコンクリート製水槽であつて、本件事故当時蓋がけされておらず、水はほぼ満水状態であつた(以上の事実は当事者間に争いがない。)。そして、右水槽の縁は、地表から五センチ程度の低いものであつた。

4  被控訴人は、本件防火水槽の周囲に縁に接着して高さ一メートル二〇から三〇センチ、直経一二ないし一五センチの木製杭一〇本程度を立て、これに二〇ないし三〇センチの間隔で有刺鉄線を五、六段に張りめぐらせて防護柵を設けていた。

5  ところが、本件事故の当時、右防護柵のうち道路側に面する有刺鉄線が切断され、控訴人らの父八蔵が右有刺鉄線の杭から切離された一端を土中に打込んでいない杭に結びつけ、この杭を動かすことによつて防護柵を開閉できるようにしていた(以下開閉できる部分を扉といい、右方式を扉方式という。)。右扉は、往々にして開いたままに放置されており、本件事故も、たまたま開いていた右扉部分から勝一が防護柵の中に入つたため発生したものである。

6  しかして右防護柵の有刺鉄線が切断されたのは、控訴人方を含む附近の農家約一〇軒位が、市場出荷用あるいは自家消費用の野菜、長靴、肥かご、耕運機などの農作業用具さらには自転車、自動車などを洗うため、禁止に反して本件防火水槽を利用するためであつて、控訴人方でも本件防火水槽を利用していたし、また附近の農家の者が利用後減少した水槽の水を補給するときには、控訴人方で保管中の水栓の取手を貸すなどしたことがあり、前記八蔵が扉式にしたのも、切断された有刺鉄線を補修する目的だけでなく、扱い難い有刺鉄線を杭に結び付けて扉とすることにより取扱を簡便にし、本件防火水槽の利用を容易にするためにしたものと認められる。

右認定に反し控訴人らは、本件防護柵の有刺鉄線は控訴人方鶏舎側の部分でもゆるんでいて、勝一はそこから柵内に入つて水槽に転落死亡した旨主張するが、前掲証拠に照らすと右主張事実は認められない。また、控訴人らは控訴人方では本件水槽の水を使用していなかつたとも主張するが、この主張に〈証拠〉は、原審における〈証拠〉に照らして信用できず、控訴人方で使用していたことは前掲証拠により優に認定することができるものである。さらに、控訴人らは、同人らの父八蔵が防護柵の一部を扉式にしたことによつて危険が増大したことはない旨主張するけれども、切断された有刺鉄線が放置されている状態に比較して、扉式となつて取扱が容易となれば、本件防火水槽の利用が促進されることは否み難く、そのうえに前記認定のとおり扉の部分が開いたまま放置されるという事態が重なれば、八蔵の補修の意図に反して、危険は増大こそすれ減少することはないものといわねばならない。右主張は採用し難い。

以上認定したところによれば、亡勝一が本件防火水槽に転落死亡した原因は、控訴人方を含む附近の農家の者が禁止に反して本件防火槽を利用し、そのために被控訴人が設置した防護柵の有刺鉄線が切断され、また控訴人らの父八蔵によつて扉式に改造されて防護柵がその用をなさなかつたことにあることは明らかである。

二しかして、被控訴人が消防法二〇条二項に基づいて本件防火水槽を設置し管理していたことは、当事者間に争いがないので、右設置管理に瑕疵があつたかどうかについて検討する。

まず、控訴人らは本件防火水槽のような利用に便利な水が近くにあれば附近の住民がそれを使用したくなるのが自然であり、使用の禁止に強制力はないから、水槽に蓋をするなどの措置をすべきであつたとして、本件水槽の設置に瑕疵があつたと主張する。しかしながら、いかに近くにある水であつても、それが消防の水利施設で、立入防止の防護柵が設けられ有刺鉄線が張りめぐらせてあれば、一見してその利用が禁じられていることは明瞭であり、あえて防護柵を破壊し用水を利用すれば、社会的な批難の対象となることは、特別の考慮をめぐらさずとも、明らかであるといわねばならない。そして、消防法一八条は、消防施設の重要性についての社会一般の認識を背景として、消防の用に供する貯水施設の使用及び損壊を禁止し、その違反に対しては刑罰(同法三九条及び四四条)をもつて臨んでいるのであつて、控訴人らが主張するように本件防火水槽を利用したくなるのが自然であるとか、利用を禁止しても強制力がないとかいうのは当らない。しかして、原審の検証の結果によると、本件防火水槽の近隣に最近新興住宅が建てられたが、附近は主に水田、畑等の農地と控訴人方のような農家であることが認められ、またすでに認定したとおり、本件防火水槽前面の道路は幅員約2.50メートルの道路であつて、このような状況からすると本件防火水槽が人通りの多い場所にあるとはいえず、そのような場所にある防火水槽ほどの危険性はないというべきである。げんに、本件防火水槽の防護柵が、通りすがりの者の出来心から切断されたとか、子供のいたずらで破壊された等の事実は、本件の全証拠をもつてしても認められないのである。そうであれば、本件の水槽については有刺鉄線を張りめぐらせた防護柵を水槽の周囲に設けて危険を防止すれば十分であつて、本件防火水槽の設置に瑕疵があるということはできない。控訴人らは、本件事故後に水槽に蓋がされたのは、その設置管理が不十分であつたことを証拠立てるものであると主張するが、この主張のとりえないことは右に述べたところから明らかであり、又控訴人らは、防火水槽を新設する場合有蓋のものでなければ補助金交付の対象とならないと主張するが、〈証拠〉によると、控訴人ら主張のようなことは認められず、〈証拠〉によれば、国が補助金を交付する無蓋の防火水槽の規格として「人命の危険防止等のために必要なさく等を施してあること」と定められていることが認められるのであつて、全ての防火水槽を有蓋とすることが求められているのでないことは、このことからも明白である。さらに控訴人らは、被控訴人において事故前すでに本件水槽に蓋をする必要性を認識していたし、予算上も容易であつたと主張するが、そのような事実を認めるべき証拠はない。

三そこで次に被控訴人の管理に瑕疵があつたかどうかについて検討する。

まず被控訴人の管理の状況についてみると、〈証拠〉によれば、次の事実が認められる。

被控訴人は、その管理下にある市内の防火水槽について、用水の量、水栓及び防護柵の状況を点検するため、ほぼ三か月に一回の割合で市の消防署職員に全ての防火水槽の巡視を行なわせていた。昭和四五年半ば頃、当時の市の消防署次長菅家義雄が巡視した際、本件水槽の道路に面した有刺鉄線がはずされて地上に落ちており、水槽の縁に長靴と作業ズボンが落ちているのを発見した。同人は、右長靴等の所有者が控訴人らの父八蔵であることを探しあて、八蔵に水槽の使用をやめるよう申し入れたうえ、右破損した柵を部下に修理させ、右の破損の状況を写真にとつてこれを越谷市の広報に掲載し、子供の転落の危険を強調して柵を損壊しないよう呼びかけた。その際、柵が破損しているのを発見した場合には早速消防署に連絡するよう、又僅かな破損は市民自身の手で補修するよう協力を求めた。その後も被控訴人の消防署職員は定期的に巡回を続け、昭和四五年一一月及び翌年の三月にも、破損している状況を発見して完全に補修すると共に附近の者に注意を与えた。本件事故発生直前の同年六月一一日の巡視の際には、防護柵の杭は堅固で、有刺鉄線も錆びてはいるがゆるみや切断個所がないことを確認したが、前記認定のように一部が扉式になつていてその扉が杭に荒縄で結びつけられている状態であつたので、荒縄に代えて直径二ミリ程度の鉄線を使用して右扉を開閉できないよう杭に固定した。しかしながら、周囲に人がいなかつたことから特に防火水槽の利用につき注意するということはしなかつた。

以上の事実が認められ、この認定を左右すべき証拠はない。そこで右のような管理について瑕疵があつたというべきかどうかについて検討すると、すでに認定したとおり本件防火水槽では、通りすがりの者が出来心で柵を破つたり、あるいは事理の判断がつかない子供のいたずらで破られたりしたのでなく、附近の農家の者が水を利用するために破られたものであつたから、被控訴人の消防署職員がこれらの者に利用の中止を申し入れ、注意したりしたのは、管理上適切であり、また前記認定のとおり各家庭に配布される広報を通じ写真入りでそれを市民に呼びかけるなどの措置を講じたことを考慮すると、被控訴人の控訴人ら本件水槽の利用者に対する注意喚起に不十分な点があるとは認め難い。しかして〈証拠〉によれば、本件防火水槽には以前に防護柵がなかつたが、附近の農家の者が寄合をし相談の結果、危険防止のため自ら防護柵を設けたことがあつたことが認められるほどであつて、その危険性についての認識は附近の住民の間に十分あつたものと認められ、前記のような被控訴人の注意喚起あるいは消防署職員の申入れに耳を傾ける心構えさえあれば、これらの者の間で、本件防火水槽の利用に自主的に規制を加えることは困難ではなかつたものと考えられるのである。そして、〈証拠〉によれば、控訴人正一は消防団員であり、同人以外にも附近の農家一二、三軒中七軒の者が消防団員であることが認められるのであつて、そうであれば防火水槽の重要性などは当然認識しているはずであつて、このような状況の中にあつては、被控訴人が前記の注意の喚起と申入れをする以上の措置をとつていなかつたことを批難することはできない。げんに、〈証拠〉によると、当時越谷市内に無蓋の水槽は七三個所ほどあつたが、特別の措置をとらなくとも本件を除いてその防護柵が人為的に破られたことは一件もないことが認められるのである。

以上認定した本件事故の発生の原因、被控訴人の管理の状況等に照して判断すると、被控訴人の本件水槽の管理に瑕疵があつたとする控訴人らの主張は採用すべきものでなく、この認定判断を左右するに足る証拠はない。

四以上のとおりであつて、控訴人らの本訴請求はその余の点につき判断するまでもなく理由がなく、棄却すべきものであつて、当裁判所は原裁判所と判断を異にするが(もつとも被控訴人は、原判決に対し附帯控訴を提起していないので、控訴人らの請求を一部認容した原判決はこをれ取消さない。)、仮に原裁判所の認定するとおり被控訴人に若干の管理の瑕疵があるとしても、前記認定のところから明らかなとおり、本件事故発生の原因が控訴人らの側にある以上過失相殺により被控訴人の賠償責任は極めて限定された範囲となるべきものであり、損害額算定に関する控訴人らの主張を考慮しても、それが原審認容の金額を上まわることはない。控訴人らの控訴は、右いずれの理由によつても失当であつて棄却を免れないものである。

よつて、本件控訴はこれを棄却し、控訴費用の負担につき、民事訴訟法九五条、九三条及び八九条を適用する。

(松永信和 糟谷忠男 浅生重機)

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